徳島と長崎の意外なご縁 ~仕事始めに寄せて~

  今年の仕事始めは1月3日、司会登録をしている 稲佐公園前の平安社でのお通夜でした。平安社では通夜と告別式を一式として担当するため、司会をお受けできるのは、主人が子どもの面倒を見ることができる土日祝日のみ、月に5~6名様といったところでしょうか。

 

 この度は、徳島県ご出身、享年91歳の故人様。遠洋漁業に従事され、ここ長崎には20歳を過ぎた頃、お仕事のためにいらっしゃったそうです。お通夜が始まる前のご遺族様との打合せの際、お子様方が翌日の告別式で故人様ご紹介のナレーションの作成を希望されましたので、早速取材。一旦出漁すると半年は帰って来れなかった故人様。お子様方はお父さんと遊んだ記憶はほとんどなく、またとても寡黙なお父さんで、『仕事では尊敬できる父だったかもしれないけど、父親として何かしてもらったとか、そういうのはないんです』とご長男様。とは言え、お父様のお陰で日々の暮らしは守られ、ご家族のために一生懸命頑張って来られたことはお子様方も十分わかっておられたようです。定年で船を降りてからようやくご家族との時間がもてるようになり、少しは互いに理解できるようになったと、わずか10分ほどの取材でしたが、いろいろお聞きしていくうちに、だんだんとお父様に対するお気持ちも柔らかくなっていかれたようでした。

 

 私のナレーション作りは、帰宅後 家事育児もろもろを終え、だいたい夜11時頃から始めます。いただいた情報をもとに約5分のわずかな時間の中で故人様の人生を凝縮させる作業。ただ単に生前のお人柄をつらつらと並べるだけでは何の深みも出ません。故人様が生きてきた時代背景や長らく情熱を傾けて来られたことなどは必ず調べ、心に残るフレーズや言葉、耳で聞いただけで映像が浮かぶような文章や表現、そして何より人生の最期にふさわしい温かで綺麗な言葉遣いを心がけて作ります。

 

 今回も、遠洋漁業と長崎についてネット検索してみました。すると、本県における漁業の変遷がその漁法別に詳しく掲載されている長崎魚市のホームページが見つかり、それによると、古くから沿岸漁業が主体の長崎に、遠洋漁業を開拓し広め成熟させたのは、なんと明治中期以降の徳島県出身の漁業者達であることが書かれていました。そして、徳島県人の漁業に対する開拓精神が、後に、瞬く間に本県水産業の屋台骨となった以西底引き網に代表される遠洋漁業を発展させたことも記されていました。故人様は昭和2年生まれの91歳なので、おそらくそのお父様世代の徳島の漁業者達が長崎にもたらしてくれた恩恵でしょう。故人様もまた、先人達と同じように 移り住んだ長崎でご結婚され、お子様方やお孫様、やがてはひ孫様にも恵まれ、定年で船を降りるまで遠洋漁業一筋の人生を送られました。徳島と長崎にこんなご縁があったとは!このお式の担当にならなければ私は知ることはなかったと思います。

 

 その後、作ったナレーションに合う音楽を探し、音楽のもつリズムや曲調、転調等に合わせて文章を推敲したり読むスピードを変えてみたり。完成したのは深夜3時頃。今回はいつもより1時間ほど長くかかってしまいました。この自宅での数時間のナレーション作りに特別な手当はありません。このようなやり方は、自分でも効率が悪いのは解っていますが、仕事とは言え人生の最期に関わらせていただいた長崎の諸先輩方への感謝の気持ちを込めて、担当させていただいたからには 出来る限りいいものを作りたいと思っています。お通夜の夜は、こんな風に長崎の先輩方にいろいろな発見をさせていただいています。

 

 翌日の告別式の前に、ご遺族様に作成した文面をゆっくり聞いていただき、内容・情報に誤りがないか、気になる点やイヤな表現などがないか、またもっと加えてほしいエピソードはないかなどをご確認いただいて、了解いただいたものを、ご会葬いただいた皆様の前でご披露させていただきました。今回の長崎と徳島の意外なご縁については、ご遺族様も納得されたようで、大変喜んでいただきました。

 

 ご葬儀の司会に出逢って本当に良かった!これからもご縁をいただいた皆様をしっかりサポートし、お見送りしたいと思います。

 

※写真の甘鯛は遠洋漁業(以西底引き網)で漁獲される『以西の魚』の代表格です!(たまたま我が家にあった魚市場協会のカレンダーより)